やきものには、つくる楽しみだけではなく、使う喜びがあります。
料理は噐によって映え、噐は料理によって成長します。
自慢の手料理をお手製の噐に盛り付ければ、きっと誰かを招待したくなるはず。
出来合いのお惣菜でも素敵な器に盛り付ければ、美味しさが格段あがります。
手作りの噐は、食生活をさらに豊かなものにしてくれるでしょう。

■■■お品書■■■
酒の肴は何が良いか
炊き込みごはんのシアワセ
望郷の念忘れ難く〜赤蕪漬物
故郷の味〜辛子蓮根
旬の味覚〜秋刀魚
スパゲッティーバカ喰い大作戦


酒の肴は何が良いか

なんだか、この「方丈庵の食卓」酒肴の画像が多いような気がします。
これではまるで、私達が年がら年中酒ばっかり呑んでいるように思われそうですが。
そうです。どうせ年がら年中酒ばっかり呑んでいますよ。

勿論お酒の種類によって変わりますが、ピッタリのツマミというのがある。
ひとそれぞれ好みが別れたりもしますが、やはりそのお酒が生まれた土地の美味しいものが一番なのでは。
たとえば、フランス生まれのワインだとチーズ。ドイツソーセージにはビール!
え〜、それから、チーズにはワインとか。…ゴメンナサイ、そんなに詳しく知らないんです。

だが、これだけは断言出来ます。声を大にして言いたい。
「日本酒には魚介類がもっともよく合う!」と。
魚介類とは、すこし大雑把過ぎますが、
逆に言えば刺身、干物、鍋物、海の幸はすべて日本酒とベストマッチすると思うのです。
私は最近、海のもので日本酒をくぴくぴっ!とやる時が至高の時間となりました。
中でも一番好きなのは毛ガニです。
ズワイガニより身が少なく食べにくいのが難点ですが、甲羅のカニ味噌は絶品!
お酒がすすみます。

画像は三鷹のスーパーで「味噌汁/鍋用」と安く売っていたカニをグリルで焼いてみたものです。
普通お店で出て来るものよりひとまわり小さいカニさんでしたが
思ったより身が詰まっていて、休日の晩酌の相手として申し分のない肴でした。ヒック。
(Taku.2007.05.30)

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炊き込みごはんのシアワセ
すきっ腹を抱えて遠い家路を我が家に辿り着き
玄関をあけると、ほんわりと炊き込み御飯の香り…。最高に幸せを感じるひとときです。
お米の炊ける香りと、醤油が焦げた香り。食欲をそそります。
炊き込み御飯は何でも好きですが、今の季節だと、筍御飯なんか良いですね。
私は筍御飯と豚汁の組み合わせだったら、毎日でも美味しく戴けます。
変わったところでは、
「松茸のお吸い物」を出汁代わりに使い、松茸の代用にエリンギを使うと
「なんちゃって松茸御飯」が炊きあがります。(材料費¥200程度)

さて画像の炊き込み御飯は「蛸飯」です。
蛸は吉祥寺の熊本物産館で手に入れた干しダコ。
炙って酒を呑もうと手を延ばしたのですが、
ラベルに蛸めしのレシピが載っていたので、早速炊いてみました。
驚くほど簡単に、豊かな味わいの炊き込み御飯が出来ました。
皆さんも是非、お試しあれ。

(Taku.2007.05.08)

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望郷の念忘れ難く〜赤蕪漬物

小柴教授がノーベル物理学賞を受賞した研究で有名な「カミオカンデ」を御存知でしょうか?
巨大な規模の宇宙物理実験施設なのですが、私の生まれ故郷、岐阜県飛騨市神岡町にあります。
神岡陽子崩壊実験(KAMIOKA Nucleon Decay Experiment)を略してKAMIOKANDEと名付けられました。
しかし、カミオカンデなんて、具体的にそこで何が行われているか知らない人がほとんどでしょうし、
知っていても、それが日本の何処にあるのかなんて、皆さん興味を持たないかも知れませんね。
飛騨神岡は、越中富山との県境に近い、
飛騨高山からさらに北上した辺境の町で、かつては鉱山王国として栄えていましたが、
日本の他所の鉱山、炭坑の町と同じように、今ではすっかり忘れられた町になってしまいました。

…などと、さも故郷のことを愛し、懐かしがっているように書いて来ましたが、
私が四歳の時に、父の転勤で一家で東京に引っ越してしまったので、実は神岡の事はよく覚えていないのです。
父方の親戚も住んで居るし、父名義になった亡祖母の家も残っているのですが
如何せん神岡は余りにも遠く、数年に一度、法事の時などに駆け足で帰る位が関の山です。

父は私が十歳の時に横浜に家を建てました。
母は私を富山の実家に里帰りして生んだので、
出生は富山、幼児期は神岡、少年期は東京、青年期を横浜と、バラバラな場所で生まれ育ちました。
今でも、出身は何処ですか?と尋ねられると少々戸惑う事もあります。
思い悩むほどの事では無いのですが、多少の寂寞感みたいなものを感じてしまうのも事実です。

そんな私にも、いつも変わらず食卓にあって欲しい、懐かしい食べ物があります。
それは、昔も今も神岡の叔母が、郷里を離れた父に送ってくれる、飛騨の名産、赤カブの漬け物。
両親の元に同居していた若い頃は、あまりにも身近にあったため、逆にありがたみを感じませんでしたが、
親元を離れて初めて、「これこそ、オレのふるさとの味!」と気がつきました。

もうひとつの、私の「ふるさとの味」である、母の郷里の「ますのすし」は、デパートに行けば購入出来ますが、
赤カブは、東京では飛騨物産展でも無いとなかなか手に入らなかったのです。
しかし、最近、三鷹の住まい近くにあるスーパーで取り扱ってくれるようになって、
酒の肴はコレ!と決め、楽しめるようになりました。
(Taku.2007.03.05)

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故郷の味〜辛子蓮根

東京生まれ東京育ちの私にとって、父の故郷である九州熊本はわたしの第二の故郷。
先日思いがけず、熊本に暮らす従姉妹より、箱一杯に熊本の味の詰め合わせが届きました。
焼酎に馬刺、そして豚骨ラーメン等等。

さて皆さんは「辛子蓮根」というものを食したことはありますか?
初めて目にした子供の頃、父が酒の肴に美味しそうに黄色の衣をつけた蓮根を頬張るのを見て
わたしも〜っ!と口にいれたものの、間もなくそのあまりの辛さに吐き出してしまったことを思い出します。
お酒を頂くようになった現在、辛子蓮根はわたしの熊本の味を代表する選手のひとりとなりました。
やはり、お酒は焼酎で!
お醤油を少々付けていただくマイルドな味に。マヨネーズを付けていただく方もいるとか。
思い出懐かしい味に心は熊本に飛んでいきました。

辛子蓮根の由来をここで少し。
『熊本藩主細川忠利は生来病弱だったが、
ある時前任地である豊前国耶馬溪羅漢寺の禅僧・玄宅が忠利を見舞った時に、蓮根を食べるよう勧めた。
そこで藩の賄方であった玄五郎が、加藤清正が熊本城の外堀に非常食として栽培していた蓮根の穴に和辛子粉を混ぜた麦味噌を詰め、
麦粉・空豆粉・卵の黄身の衣をつけて菜種油で揚げたものを忠利に献上したところ、忠利は喜んで食べたという。
蓮根は増血剤として優れている上に辛子には食欲増進作用があること、
また蓮根を輪切りにした断面が細川家の家紋(九曜紋)と似ていたことから門外不出の料理とされていたが、
明治維新からは一般にも製法が伝わった。』〜ウィキペディア フリー百科事典より

てい子ちゃん。ごちそうさまです!ありがとう!!!
(Rie.2007.01.27)

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旬の味覚〜秋刀魚

この「方丈庵の食卓」でも何度か書きましたが、私は大学を卒業するまでサンマと云う魚を食べた事がありませんでした。
小学校の社会科の授業でも「日本人の食卓にもっとものぼる、庶民的な魚のひとつ」と習ったにも関わらず、です。

私の母は富山の出身なので、もしかすると日本海側ではサンマは漁れないのかな、とも思ったこともあります。
しかし、やはり富山出身の先輩に尋ねると、富山でもサンマはとれるし、普通に食べる、との答えが帰って来ました。
となると、可能性としてはただひとつ。
父か母、どちらかがサンマを嫌いだったに違い無い。

のちに伯母に確認したところ、真相は母がサンマ嫌いだったようです。
たしかに、如何に大衆魚であろうと、主婦が自分の嫌いな惣菜を食卓には上げませんよね。

大学を卒業し、相模原に先輩達と共同アトリエを持ちました。
そこで、秋になると、耐火レンガを組み、炭火を熾し近所のスーパーでサンマを買って来て、
白い御飯を炊き、サンマパーティを開きました。
初めて食べたプリプリのサンマの旨さは今でも忘れられません。

方丈庵のテラスを自作する際、私はそこに必ず囲炉裏を作りたいと願いました。
秋には必ずそこでサンマを焼きたい、と思ったのも理由のひとつです。

今ではサンマは冷凍ものがスーパーの店頭で一年中見かけますが
やはり秋の旬の味覚として大切にしたいと思います。
(Taku.2006.10.08)

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スパゲッティーバカ喰い大作戦

学生時代から、27〜8歳ぐらいまででしょうか、私は週に2〜3回のペースで徹夜バイトをしていました。

徹夜明けの朝というのは、何故だか無性にお腹が空き、とても家で母が用意してくれている普通の朝食では足りません。
で、帰りがけに買い物をして、自分好みの食事を自炊するようになりました。
コンセプトは「旨い、早い、ボリューム満点!」
手軽に出来て、美味しくて、ハライッパイになるメニューが求められるのです。

その条件をもっとも満たす料理は、パスタでした。
仕事明けの朝、眠い目を擦りながら自宅の最寄り駅に降り立った私はよく
「よおし、今日はスパゲッティーバカ喰い大作戦だあ〜!」
と力強く叫んだものでした。アホですよね。

最初はスパゲティーを500gぐらい茹でて(!)、2〜3人分と表示してあるレトルトのルーをかけて一気喰いして満足していました。
準備開始から食事終了まで、20分もあれば充分です。

しかし、 やがて「スパゲッティーバカ喰い大作戦」は、誰に頼まれた訳でも無いのに必要以上に展開し始めました。
何故かと云うと、当時の私はとてつもなくヒマだったのです。
レトルトのルーに物足りなさを感じはじめた私は、そこにコンソメやニンニク、醤油を加え味を整える事を覚えました。
また、シーチキン、ソーセージなど具を追加したりもしました。チーズも、粉チーズではなく、とろけるチーズを使うとボリュームが増します。
いつしかスパゲッティーはショートパスタに変わり、香ばしさを出すために仕上げはオーブンで焼くようになり…

最終的に辿り着いたのが、御覧のような料理です。ブラウンソースのグラタンみたいなものですね。
手が込んでいるように見えますが、これでもオーブン焼成を含めて30分弱で完成します。
友人が遊びに来た時なんかのお手軽簡単メニューとして今でも重宝しています。

私も40歳をとうに越し、自分でも驚く程食が細くなりましたが、パスタだけはバカ喰いの癖が残っているらしく、
まだまだ300gぐらい平気で食べられます。
(Taku.2006.10.01)

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