私とやきものについて

私は、自分の仕事に、陶芸と云う言葉をあまり使いたく無い。

明治以降のやきものは桃山の雅陶を再現して芸術の領域に昇華させることを目標とし、戦後は培われた伝統に反逆することによりやきものに新しい価値観を模索しはじめたが、どちらにしてもその運動に参加するためにはまず、伝統を継承する者であることが第一条件である。

「陶芸」は、かつて第二芸術と見下されていたやきものを、アートとして再認識させるために加藤陶九郎氏が生み出した造語らしいが、それは代々、伝統継承者としての陶工の家に生まれた誇りが言わしめたものであろう。
飛騨の山奥の鉱山の街に生まれ、横浜で育った私がもし伝統の再興を目指しても、それは猿真似に過ぎないし、伝統への反逆を目指したとしたら、それは日本に来た事さえ無い外国人が、日本国の革命を叫んでいるような、お門違いも甚だしい行為に終わってしまうだろう。

私が土を表現媒体として選んでいるのは、やきものが私にとって、私に必要な範囲でコントロール出来る数少ない素材のひとつだからであり、また、矛盾しているようだが、やきものの持つ、制御し難い性質が気に入っているからで、形而上的な理念や、使命感があるわけではない。
陶芸産地の作家は、土でオブジェを作る事に特別な意味合いを持っているが、私にとっては自由に選べる選択肢のひとつに過ぎない。
私には伝統美術の呪縛も恩恵も無縁である。

私は伝統芸術に対して、まるで西欧人のように客観的にコンプレックスと憧れを抱いているが、それは私の、あまり感心しないやきものとの出会いと無関係ではない。
私達は画学生として西洋絵画理論であるデッサンを学び、美大に入学して、私の場合は絵画に挫折して陶芸ゼミに入ったのだが、そこで私達は、陶芸産地出身者や工芸科の学生とは別の、謂わば素人として陶土とのつきあいを始めた。
だが、そのことは私が今後やきもので作品を創っていくうえで、けしてマイナスの要素にはならないと考えている。
ひとつの文化に新しい息吹を与えるのは、少なくともその伝統に拘泥しているものではなく、往々にして異なる文化圏のものであるからである。

私は客観的に日本の伝統美をとらえ、気に入った処は模倣し、無関心な部分は無視する。この先も素人として土に触れ、その触感を子供のように楽しみつつ作陶したいと思う。

伝統に束縛されず、自由にやきもの、土にアプローチする権利を、首都圏で作陶する作家たちは持っているはずである。(2001年10月)


文化志野について

電気窯を使って焼き上げた長石釉の焼きものを、私は「文化志野」と自称している。

大辞林によれば、「文化」の意味は下記の通りである。

ぶんか ―くわ ( 文化)
(1)〔culture〕社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の 総体。
言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高 低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
 (2)学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの。
 (3)世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。
 (4)他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。 「―鍋」

このうち、(4)の意味合いで、近代、様々な製品が生み出されてきた。
事例の「文化鍋」を始め、文化包丁、文化住宅、文化カミソリ、文化刺繍等々。

以前、先輩と共同アトリエを借りていた頃、近所のスーパーで、「鯖文化干」なるものを買って来て、よく焼いて食べた。只のサバの干物である。安くて美味しいから買っていただけで当時はその名の由来について深く考えたことは無かったが、最近になって、文化干とは、スチロールのプレートにのって、セロハンで梱包された、「電気で干された干物」の事であると知り、失笑した。
成程、剥き出しのままよりもラッピングされた方が、天日で干すより送風機を利用した方が合理的で、清潔であり「文化的」であるからだと思うが、このネーミングから推察すると、
化学製品=文化、あるいは、電化=文化と云うのがこの時代の感想だったのだろう。
だが、この「文化」の定義には、今ではかなり安っぽいイメージが強いように思う。
先程列記した製品の中にも、今日考えてみると随分怪げなものも含まれている。
文化住宅は、大正時代の合理的な生活に合うように設計された、和洋折衷の近代的住宅として登場したが、今では安普請の賃貸住宅の代名詞に失墜したし、文化包丁は和包丁と違って研ぐ必要の無い優れものだが、安価なイメージが付きまとう。文化鍋とは最近めっきり見かけなくなったアルミ製の鍋のことだし、文化カミソリに至っては只の使い捨てのカミソリの事である。

現代では、上記の(3)(4)の意味合いでの文化と云う言葉が輝きを失ってしまい、便利ではあるけど安っぽい、手軽ではあるが軽薄なもの、と云う意味へ転化してしまったのでは無いか。

そして、ビニールで包装された市販の陶土を電動のロクロで廻し、コンピューターで制御された電気窯で焼き上げるやきものも、この場合の「文化的」なる形容詞が良く似合う。
私の焼き上げた志野は、美濃の作家が作る「桃山の美の再現」としての志野と対極的である。
私は、最高の原料を求めて山野を捜し歩く代わりに電話1本で陶土を発注し、豊富な経験と膨大な時間と薪を費やす代わりに、指1本でコンピューターにプログラムを入力して短時間で作品を焼く
そうして完成した志野は、まがい物っぽく、軽薄であるどころか、既に志野ですらない。
美濃の作家から見れば、ただ材料だけが同じなだけの、別物であろう。

だが、かつて日本人は大陸の白磁に憧れを抱き、未熟な技術や制約された原料を克服し試行錯誤を繰り返して「白磁でない白磁」志野を完成させた。それは日本の陶工、茶人による文化的昇華のひとつの結晶である。

私が学生の頃には高根の華だった完全自動焼成装置をはじめ、年々窯業技術は身近なものになっている。美濃の作家達はそんな「文化的」な技術に背を向け、大変な労力を払って桃山の美の再現としての志野を探究し続ている。その労力には敬意を惜しまないが、少なくとも東京の作家にとっては、
~「時代の必然」の追体験が不可能であるが故にオリジナルの凌駕は不可能(中村錦平)~ である。
私は私の視点で志野を愛し、私の方法で、私の志野を創りたい、と願った。

考える。私の志野も、いつか本物の志野のように本家とは違うかたちで結実するかも知れないではないか、と。
そんな幽かな期待と自嘲を込めて、私は「志野でない志野」を文化志野と名付けた。
(2003年4月)


G氏への「添え書」

 謹啓

この度は茶碗制作のご用命を賜り、誠にありがとうございました。
大変光栄に存じます。
身に余る大役でしたが、おかげさまで、充足感を持って作陶する事が出来ました。
 今回の二椀、形態も焼きもまずまずの出来だと自惚れております。
大切な茶事を台無しにしないようにとの天佑もあったのでしょう。

 さて茶碗の銘ですが、それぞれ 

   「初虹」はつにじ
   「翠嵐」すいらん

と名付けました。

 初虹は、ご依頼が、薄手の華やかなものを、と云うことでしたので私の得意な技法の一つ、
内側だけに施釉し外側は無釉の茶碗に、金彩を施す仕上げにしようとすぐにひらめきました。
 ただ、外側の赤い線=緋襷(ひだすき)を出すためには稲の藁を巻くのですが、
藁が器の内部に掛かるとヨゴレになってしまう為、
緋色を美しく出し尚かつ藁がはみ出ないよう、窯詰めに苦労しました。
 真珠のような光沢は、西洋陶で使われるラスターカラーと呼ばれる上絵の具を使用しました。これも私の得意の技法です。
あまり和陶では使用しないので、珍しく見えるかもしれません。
この輝きと、春の茶事でお使いになる、とのご依頼でしたので初虹、と命名しました。
古来虹は時に凶兆でもあると言い伝えられているようですが、初虹はG様ご一家にとって、
又私共にとって吉兆であると信じております。

「翠嵐」とは、山に立ちこめるみどりの気、の意だそうです。
私は四歳まで飛騨の山奥〜文字通り山奥で育ちました。
幼い記憶の中に、鉛色の空と黒い山塊に怯える自分が居ります。
幼稚園に上がる前には東京に越して来ましたので、返って私は山に対し強い憧憬と畏敬を持っております。
この茶碗の鉛色は、私の記憶の底の、飛騨の雪雲の色であります。
奥様が高山のご出身と御聞きし、大げさですが、運命を感じました。

かつて、美術蒐集家としても高名な陶芸家、辻清明氏の
「むかしの茶人は茶碗をひとつの宇宙に見立てていました。茶碗の縁を山道といって、茶碗の周囲を凝視しながら、ひと巡りする旅を感じていたのです。
なだらかな道、上がり坂、下り坂がある。遠くからみればなだらかでも切り立った崖のように尖っている道がある。実際の旅の光景を浮かべても、人生の旅を感じてもよいのです。」
と云う一文を読み、たいへん感銘を受けました。
私事ですが、私は四年前に母を亡くしました。
母は生前、風雅なものに憧れがあったようで、
私が茶碗を造ったりお点前のまねごとをするようになった事をとても喜んでおりました。
私は所謂おかあさんっ子で、母を亡くして、随分辛い思いをしました。
今では碌に墓参りもしない親不孝者ですが、前述の山道の話のようにロクロを回し、茶碗を捏ねる時、
心は山々を巡礼しております。
良い茶碗を造りあげると、何だか、母の為に成し得たような、満足感を得ます。もちろん自己満足ですが。
この度のご依頼、母は誰より喜んでくれていると思います。
また、お彼岸の茶会にて、私の茶碗で、宗匠様の御点前にて大勢の方にお茶を喫んでいただく、
これほどの供養はないのではないかとずうずうしくも勝手に喜んでおります。重ねて御礼申し上げます。

両碗とも信楽から取り寄せた鉄分を含んだ土を生地土としています。
初虹は肌理の細かい土、翠嵐は荒い土を使いました。
翠嵐の釉薬はいわゆる志野釉(長石釉)です。私的には「黒志野」と命名した技法です。
プロパンガス併用の電気窯で、焼成温度は1230℃、還元焼成にて約25時間焼成しました。
その後、初虹のみ金彩を施し780℃にて焼成してあります。
以上、長々と講釈を垂れてしまいましたが、御披露の際の御一助となれば幸いです。

まだまだ未熟者ではありますが、今回の茶碗、渾身の作です。
どうかどうか、末永くご愛用下さい。

末筆ながら、茶名御襲名おめでとうございます。
更なるご発展、ご精進、またご家族様の御健康をお祈りしております。

                       頓首     

   G様
  平成十八年三月十日    草庵にて